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2月14日(金)
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今日は仕事のことを少し。
本日、2月14日は、世間ではバレンタインデーだったようであるが、私にとってはそんなことはどうでもよく、今日はここ一年手がけてきた研究の発表会であった。今日の発表は第一弾で、来週の発表が私にとってはよりプレッシャーの大きい第二弾となるのだが、ひとまず今日の研究発表が無事に終わってホッとした。
一年を振り返ると、この研究の仕事は私に多くのことを与えてくれたと思う。必要に迫られてのこととはいえ、エクセルやパワーポイントの操作方法もずいぶん身につけることができた。例によって私は、いろいろな役割を引き受けてきては、夜中にCD‐Rを買いに走ったり、「え〜ん、もう疲れたよ〜」と泣きながら仕事をしていたこともあったが(今考えるとけっこう笑える図)、ともかく今の私にできる精いっぱいのことができて、よかったと思う。
今朝は、出かける前に同業者の先輩であるまさみさんから「ファイトです!!!」と励ましのメールが届いた。とてもうれしかった。この研究に携わる前に、まさみさんから言われたことがある。「研究の場では、何も言わないことが一番よくない。たとえ的外れなことでも、言えば、少なくともその選択肢は除かれる。多少変なことを言っても『若気の至り』で済む今だからこそ、当たって砕けろ!の精神でのぞむように!」もしかしたら、ニュアンスは違うかもしれないが、ともかく私はそんなふうに解釈して、そのことを胸に留めて、今回の研究にのぞんできた。14人での共同研究だったので、なかなか身動きのとりづらい雰囲気ではあったが、思ったことはできるだけ遠慮せず言うように心がけた。中には、私が就職したてのころお世話になったベテランの方もいて、うれしいめぐり合わせを感じた。今日の打ち上げではそんな昔のことも話題にのぼって、とてもなつかしく、楽しかった。
さて、あとは来週の発表・第二弾をがんばるのみである。
ふと思うが、研究も芝居の公演にちょっと似ていると思う。はじめに、なんのことを取り上げるかという視点があり、そこから離れないようにいろいろな肉づけをして(そのために裏づけをとったり調べ物をしたり)、試行錯誤や検証を繰り返して、発表に至る。そこにコーディネーター的な役割を担うスーパーバイザーもいて、紆余曲折があっての発表である。
でも、中途半端でなく、一生懸命やってきたという思いがあれば、出来栄えはともかく、人前に胸を張って出せるのだなあ。そして、批判にも素直に耳を傾けることが出来るのだなあ。まあ、当然のことだけれども、それは聞きに来る人に対する最低限の誠意だし、それをひとに伝えられることは幸せなのだ。そして、コーディネーターは本当に裏方的な喜びなのだろうなあ、とふと共感してしまうのは、演出をやった経験からかもしれない。ともかく、研究と芝居には似た点がたくさんある。
そして、一年間研究を通して人間関係を深めると、いろいろとプライベートなことに話が及ぶこともある。だいたいが大先輩方なので、私などはまさに人生勉強させてもらってる感じだけれど、人の話を聞くたび、まさに人生いろいろだなあ・・・と感慨にふけってしまうのでした。
p.s.
体力・気力ともにそろそろ限界。どこかでチャージせねば。
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2月8日(土)
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午後、某養成所の卒業公演を見に行った。たまたまチラシを見ただけで、特に知り合いがいたわけではないけれど、どんなものかな、とちょっと興味がわいたので。
多重人格の少女が、学校の先生や担当の医師とのかかわりを通して、4人現れていた人格を最後には統合していくというストーリーで、すてきな脚本だな、と思った。芝居そのものはいかにも「学校の演劇」という雰囲気で、独特の間や段取りくささがあったが、ラストではちょっとうるっときてしまった。分裂して存在していた3人の人格がそっと本人に別れを告げて、ひとり、またひとりと去っていくところだ。
多重人格とまではいかなくても、「こんなふうでありたい」「あんなふうになれたら」といった望ましい自分像が誰にでもいくつかあると思う。でも、どれもを実現することには無理があるから、知らぬ間に自分の中で折り合いをつけて、今の自分になっているのだろう。職業選択や、出会いや、運や、いろいろな偶然・必然に規定されながら。それを明確な意識のうえに行うとしたら、本当に人間は分裂してしまうかもしれないな。そう考えると、思春期からおとなになるまでの間に、みんなそれぞれすごいことを成し遂げて、おとなになっているのだなあ。
話はまったく変わって、私は最近思うことがある。
このごろ、テレビをつけるたび、どのチャンネルでも似たような北朝鮮の話題を取り上げているのはどういうことだろう。あまりテレビに興味のない私が感じるのだからよっぽどなのだ。
それも、聞いていると北朝鮮でどんなテレビ番組をやっているかとか、北朝鮮の人々が「将軍」賛美の歌を歌っているところとか、なんかどーでもいいようなことばかりだ。そんなことを、わざわざゴールデンタイムを使って放送していたりする。そして、「こんな北朝鮮て、なんなんでしょうか」という感じの、ひそかに北朝鮮への反感や軽蔑をあおるような意図を感じる。もちろん、それをあからさまに言わない程度には文明国の顔を維持しているけれども、そこがまたやせ我慢というか、皮肉っぽいというか、精一杯無理して言葉を選んでいるような感じを受けるのは私だけだろうか。
たしかに北朝鮮では、もっとあからさまに日本を批判あるいは中傷する報道や番組が横行しているようである。「ここまで言われて黙ってられるか」的な応酬と見て取れなくもない。
しかし、私が気になるのは、今やどの局も、似たような論調や取り上げ方になってきていることである。同じ事実があるとして、多くのマスコミがこれだけ似たような取り上げ方をしたことがあったかしら。マスコミというのは、ふつうなら、少しでも他社との違いを見せようと、あれこれ穿った見方をしたり、視点を変えてみたりするものではないかしら。それが、これだけ画一的に(しかも時期を同じくして)なってきているのは、なにかもっと、見えざる大きなものの意志が感じられてならない。私たちの意識をどこかへ向けようという風が、さわさわと吹いている感じ。それはなんのためだろう。私は恥ずかしながらほとんど政治性のない人間だけれど、考え出すと、安穏とはしていられなくなる。
意識の上ではものすごい矛盾を感じるけれども、やっぱり「仲良くしましょう」と取り決めることが、安全には一番近いのだろうな。この難しい選択を、子どもにはどう教えたらいいのだろうか。
がんばってくれ、政治家。つまらない言葉じりをとらえて揚げ足を取り合ったり、足の引っ張りどころを探り合っている場合じゃないぞ。最近の国会の審議のようすを見ていると、言葉遊びに終始しているような気がするぞ。それを鬼の首とったように報道しているのもどうかと思うぞ。
私は、もう何度もミサイルが飛んでくる夢を見た。他人事ではないのだ。
p.s.今日のヒットフレーズ「出たな!妖怪寝起き女!」
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2月5日(水)
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昨日の稽古に、ひさしぶりにみんみんが顔を出してくれた。
新しい台本を渡しつつ、チラシのデザインについて話をする。
「えーと、丘の上に天国に行きそうなドアがあって、そこに向かう人がいて・・・」と、例によってあいまいな注文をする。横からまさみさんが、「すいませんねえ、無理言って」とフォローを入れてくれる。しかしみんみんは、そんな漠としたイメージにもかかわらず、「わかりました」と引き受けてくれた。どんなチラシになるか、とても楽しみ!
そして、新しい台本の初通し読みをした。人数も少なかったので、順番に回して読んでいく。さっと流しただけで1時間20分。これでいろいろな間が入ったり、転換があったりすると、1時間40分ぐらいか。今回の芝居は、たっぷりとやってもらいたいシーンもあったり、実際に動いたらけっこう時間かかりそうなところもあったりするが、そのくらいにおさまるといいな。小屋がパイプ椅子だし。
p.s.最近妙に仕事熱心な私。
誰もいなくなった職場でひとりで仕事をしていると、がん
がんはかどって気持ちいい。でも、お化けが出てきそう
な不気味さはかなり。
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2月3日(月)
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昨日、リライトした台本の印刷をした。家を出るギリギリまで直しをしていて、ようやく原稿を提出できた安心感のためか、印刷室でもひとり妙にハイテンションだった。やたらと笑いながら、仕事もせずにフラフラしている主宰を横目に、みんなは素晴らしい連携プレーで印刷をこなし、あっという間に新しい台本20冊が出来上がったのだった。みんな、ありがとう!
これがベストであったかどうかは、これから稽古を重ねて楽日が終わるまでわからない。芝居は生き物だから、楽日が終わるまではきっと変わり続けてもいくだろう。けれど、これが舞台に乗って、キャラが動き出し、物語が始まるさまを私は見たい。生の人間に、読んでもらいたい。少なくとも、今の時点でそう思えていることは大切だ。
ということで、今日はひさびさにビールを片手にパソコンに向かっている!私は、飲むと思考力と記憶力が停止するので、絶対に脚本には向かえない。そのため、このところ人と会うとき以外はもっぱら休肝日だったから、こうして家でビールを飲む時間のささやかな幸せと言ったら!あー、うまい。しかも、こうして気球日記を書けるだけの時間と余力がある。いい夜だなあ。
おととい、サノくんの出ている芝居を劇団の仲間と見に行った。お年を召した(これっていい言葉)役者さんの多い劇団で、現実的でありながらもあたたかく人情味あふれた芝居だった。50代、60代になってなお、今だからこそ出来るような芝居を作っている、その姿に私は胸を打たれた。バックグラウンドの大きさを感じさせる、そんな役者さんて本当に素敵だよなあ。表情のひとつひとつ、感情のひとつひとつに今までの生き方が刻まれているんだ。自分は今、どんなことを刻んでいるのかな。
その日の夜の稽古に、客演をお願いしていた役者さんが来てくれた。友達の劇団の役者さんなので、舞台に立っているところは見たことがあったが、直接にお会いするのは初めて。でも、舞台で見た雰囲気そのままの人だったので、よかったと思った。基礎練や読み合わせにも参加してもらい、最後には客演の件、快諾してくださった。もう感謝感激。
それにしても、稽古場に新しい人が来るのはちょっと久しぶり(1ヶ月ぶりくらいか?)。なので緊張したせいか、いつもと調子が狂い、バツゲームのスクワットをいつになくたくさんやってしまった。おかげで、今日になってもまだ大腿筋がひどい筋肉痛。うう、スクワットの筋肉痛って、階段の上りよりも下りが辛いのね。・・・ていうか、鍛えなきゃ!基礎練の筋トレでやっているところは、まず筋肉痛にはならないが、ふだん使わないところはこんなにも軟弱なのだなあ。
昨日は、台本印刷のあとに、はりうねえさんとねえさんの後輩にあたる方の芝居を見に。私はあまり見たことのないタイプの芝居で、独特な世界を呈していた。どことなく、この世のものでないような雰囲気が印象的だった。
帰りがけに、二人でごはんを食べながら、戯曲を書くことについてひたすらしゃべった。はりうねえさんは私よりよっぽど経験も勉強も積んでいるので、ははあ、と感心してしまうような、その場でメモりたくなるような、セオリーや考え方を教えてくれる。聞いてるだけで、いいものが書けるような気がして(幻想)、私はいつもとても励まされる。そういういろいろなことに照らし合わせつつ、今回の台本も、もっともっと絞り込んでいこうと思う。
p.s.パソコンで買っているイヌが、最近逆立ちして歩いたり、
バク転したりと高度なワザを身につけるようになった。
こんなイヌいるわけないだろ!と思いながらもやっぱり
カワイイ。
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